「現代工芸への視点―装飾の力」展
昨日で終了した東京国立近代美術館工芸館の「現代工芸への視点―装飾の力」展は陶磁の作品を中心に、現代日本の若手の作品に見られる装飾志向の強い作品をずらりと並べ、きわめて刺激的な展覧会であった。
http://www.momat.go.jp/CG/power_of_decoration/index.html
いったい人はなぜ装飾を施すのか。たとえば日用に供せられる器としての機能だけを考えればそこに装飾がなくてもいい。実際、世の中にはそうしたものがたくさんある。また、そうした装飾を排した上で、なお大量製作品とは異なる伝統工芸の匠の技が生み出す工芸美もある。
だが、一方で実際には使用しない置物としての作品を求めもする人間とは装飾する動物だということかもしれない。自分のまわりをさまざまに飾ることから出発して、作品自体をさまざまに飾ることが生まれる。
洞窟に狩猟画を残したときから、アートが始まっているとしたら、飾ることには「願い」や「祈り」がこめられていたに違いない。きわめて伝統的な十四代今泉今右衛門と、有機的な形の集成されたオブジェを作る徳丸鏡子が共にこの「願い」や「祈り」ということを装飾に見出しているのはおもしろい。
しかし、この展覧会に並んだ作品に見られる過剰なまでの装飾から見えてくるものはそれだけではない。主催者が語っているように「デコ電」や「ネイルアート」に共通する装飾で埋め尽くしたい欲望、そこに現れる無意識の世界。逆にきわめて意識的な批評意識に満ちた、例えば壺に飛行機が突入したり、壺と鷺が半々であったりする桝本佳子の「○○/壺」シリーズや、大量製作のパーツを逆手に取った上田順平の作品。方法も絵付けにより埋め尽くす作品があれば、微分化された素材の集積が生み出す形態や質感にこだわる作品がある、というようにさまざまだ。「装飾の力」という括りには少し違うかなというオブジェもあるが、「装飾」ということばがもつ意味の広さを考えさせられる。
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